和楽器の未来を創る研究会

和楽器の未来を創る研究会

「自然によって育まれてきた文化」

会長 小島美子

 日本人はいつも自然からいろいろなモノを感謝しながらいただいてきた。日本の昔からの楽器には、自然のモノの命がとても自然に感じられる。演奏家の中には、たとえばこの立派な木が本当に喜ぶような音を出したいと思われる方もおられるという。日本人は音色を大切にしてきたので、それらを気に入った音が出るまでこまかく手を加えて、これ以上はないと思う程、練り上げてきた。
 ところが気が付いてみると、その自然のモノが、もうほとんど手に入らなくなっている。それは大変、何か代わりのモノはできないか、もっといいモノを作っていくことが必要だ、といろいろな分野の人が集まって研究しているのがこの会である。

「自然と共生する和楽器の未来」

理事長 今藤政太郎

 洋の東西を問わず我々の文化は、自然の恵みと共に歩んできた。特に日本においては山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)といわれるようにすべてのものに魂がやどっているという思いを持っていたように思う。
 なかでも絹と桐と象牙で奏でられるコロリンシャンという箏の音を聴くとため息が出るほどなのである。人間は自然を征服し我がものにしたように思えるが、やがて自然(神)からしっぺ返しを受けることになるのである。極端な気候変動や新型コロナもあるいはその一つかもしれない。しかしながら人間は人間だけに許された秀れた技術や芸術を育んできた。音楽をはじめとする芸術文化は共感の輪となって人々やあるいは他の動物さえも包み込んでゆく。しかし自然と芸術文化が対立して二者択一になってはならない。
 そこで立ち止まって、自然と文化との共生を考えよう、私たちの音楽を通してそれを改めて考えようという主旨で発足したのが私たちの「和楽器の未来を創る研究会」なのである。
 最初に申し上げたように自然の恵みからもたらされた箏に象徴された音は本当に深淵で美しい。しかし私たちは美しさを求めるあまり自然を侵食しすぎたのではないだろうか。感性と叡知をもって自然との共生を図っていかなければならない。
 抽象的な言葉を連ねましたが、これが私たちの基本的な問題意識なのです。

主旨と課題

(1)「和楽器の未来を創る研究会」の主旨

和楽器には、動物や植物の自然素材が用いられています。それらの素材は、人々の音へのこだわりと工夫の歴史のなかで、ふさわしいものとして選ばれ、使われているものです。しかし、現在、そうした文化の歴史に大きな問題が生じています。たとえば、長年に渡って三味線の撥や駒、箏の爪や箏柱など邦楽の楽器の一部に最も使われてきた象牙は、「ハード材」と呼ばれるアフリカの中央部・コンゴ盆地の熱帯林地域に生息するマルミミゾウ由来の象牙でありました。それは印材にも使われてきました。とりわけ和楽器においては良質の音の演奏に深く関わるため、日本の伝統的な文化遺産の継続には不可欠な素材です。また、これは世界文化遺産に指定されている歌舞伎、人形浄瑠璃など日本の伝統芸能の存続にも深く関わってくるのです。ところが、日本国内の「ハード材」在庫も少なくなり、その結果「ハード材」象牙製品の単価は高騰してきており邦楽の維持継承にとって深刻な問題となっています。これは日本の伝統音楽の根幹に関わる問題として捉えなければなりません。和楽器業界では象牙だけでなく、紅木、べっ甲、皮など、製作に必要な材料の調達が国際情勢の変化により困難な状態が続いています。
一方、マルミミゾウは、象牙目的の密猟によりいま絶滅の危機に瀕しています。マルミミゾウは糞を介しての種子散布を通じて、森林を維持する重大な生態学的役割を担う礎石種であり、その絶滅は熱帯林の生態系とその生物多様性に多大な打撃を与えかねません。また熱帯林が永続的に保全され得ないことは地球環境異変とも強く関わります。絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約により象牙の国際商取引が禁止された後も、アフリカ現地では象牙の需要の継続に伴い、とりわけマルミミゾウの密猟は激化しておりその存続が危ぶまれているのが現状です。
「日本の音」をどのように継承し、未来に伝えていくか、「自然と文化のバランス」の視点から、演奏家、楽器製作者、日本音楽研究者、素材開発研究者、自然環境保全研究者、企業、メディアなど異分野のスペシャリストが集い、その知識と経験を生かしながら、今直面しているこうした問題を考え、解決しようという主旨のもと、当会は設立されました。

左:象牙に代わる新素材一例(©和楽器の未来を創る研究会)
右:密猟されたマルミミゾウの象牙と銃を押収したコンゴ共和国の森林警察(© J-C.Dengui)

(2)「和楽器の未来を創る研究会」の課題

現在、「新素材開発がマルミミゾウという自然遺産および日本の邦楽という文化遺産をともに守り得る」という当会の役員全員の合意のもとで、最優先課題として三味線の撥や駒、箏柱や爪など、「ハード材」象牙に代替し得る新素材による製品の開発に取り組んでいます。
短期的な課題としては、素材科学研究者の提供する新素材を使った楽器の一部により、会のメンバーが試奏を繰り返し行うことで、より演奏家に叶う素材の質の向上を目指して活動中です。この試行錯誤の過程だけでなく、特に三味線の撥製作に十分な大きさの新素材を作ることが中・長期的な課題となります。こうした初めての試みとしての新素材開発には、十分な資金源と人材の確保が必要であり、国や民間からの大きなサポートが必要とされているところです。