復曲プロジェクト

復曲プロジェクト

『早咲賤女乱拍子』(田舎娘)と王子路考

 王子路考こと二代目瀬川菊之丞は、江戸郊外の王子村で生まれた。江戸で生まれ、江戸で育った、江戸根生いで、はじめて立女形になった。しかも、わずか十八歳の若さであった。
 元祖菊之丞は「女形」の「形」のいらない正真の「女」と讃えられ、王子路考も「娘形」の「形」を取った本物の「娘」と持て囃された。町内で評判の美人は路考娘と呼ばれ、生まれたばかりの錦絵に描かれたのである。
 王子路考は、生粋の京女であった叔母に女形の芸を仕込まれるとともに、義父になった團十郎から荒事も伝授された。その結果、おしとやかな京女ではない、江戸の「はすは」(お転婆)な娘形が誕生することになったのである。「田舎娘」はその代表作であった。
 王子路考の役は葛西村のお綿。実は『太平記』で新田義貞の身代わりになって死んだ忠臣、小山田太郎の妹であった。兄小山田の命乞いをするために、田舎娘に身をやつして新田館に乗り込むのである。葛西念仏の馬鹿囃子で踊る姿を若衆と間違えられ、新田義興の贋物に仕立てられた。何を聞かれても「義興でござる」と応える滑稽な演技は義父團十郎の「小山でござる」の焼き直しであった。女形としては大胆で「はすは」な役どころであった。
 兄が殺されたことを知った田舎娘は、兄が奪われた旗を取り戻すために、白拍子の姿になって二人の悪人に近づく。「色悪」の三代目幸四郎(五代目團十郎)の贋勅使。二代目助五郎の大名は父親譲りの赤っ面の敵役。菊之丞と同じ年の幸四郎は二十七歳、助五郎は二十三歳。 三人ともに二十代の若さであった。
 白拍子は乱拍子を踏み「文が遣りたや」と踊る。それが面白かったのであろう、十三回忌追善の『羽根の禿』に組み込まれて遺った。そのあとで、振袖の裾をたくし上げて、田舎娘の所作になる。印象的なその姿は『碁太平記白石噺』の田舎娘信夫に写されて、今日まで命脈を保ったのである。

古井戸 秀夫
(2017年12月「第3回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)

日吉小三八氏蔵

作曲者より

 このたびで、復元の作業に参加させていただくのも、三曲目となります。毎回、プロジェクトチームの会合で皆さまに教えをこいながら仕事をすすめるのは、勉強になるとともに、楽しい時間です。ただし、同時に苦しい時間でもありますが。
 「早咲賤女乱拍子」の作曲者 二代目杵屋六三郎は、「娘七種」や「関寺小町」などの名曲を手がけています。前者の華やかさはいうまでもありませんが、「関寺小町」のようなシブい曲にも、ちょっとした華やかさがほの見えます。今回の復元曲も、六三郎らしい古風な華やかさを感じていただけるものになれば、と思っております。

今藤 政貴
(2017年12月「第3回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)