宝暦4年(1754)2月7日より中村座の『百千鳥艶郷曽我』第二番目で初代中村助五郎が踊った曲です。初演の演奏者は三挺二枚で大小鼓が各一人入り、タテ唄は松尾五郎次、作曲者はタテ三味線の初代杵屋弥三郎と考えられます。今回は人数を少し増やして四挺四枚に小鼓二人、大鼓一人、そして笛を入れて演奏します。
助五郎の役名は正本にありませんが、役割番付などによると、第一番目で小法師外記と三保谷四郎国俊、第二番目でも三保谷を勤めています。
第一番目の小法師外記は、実は曽我兄弟の兄、京の小次郎で、兄弟の敵である工藤祐経の子、犬坊丸と衆道の契りを結び、最期は腹を切って狩場の絵図を兄弟に渡します。また三保谷は、第二番目では鳴滝屋という煙草屋の主人、笹野三五兵衛となっています。ところが、大磯で殺した傾城山路(初代中村富十郎、絵本番付には「をうしう」とある)の霊に獅子頭の兜を盗まれた上、霊に取り憑かれて道成寺の所作事となり、最後は北条方の捕手が鱗四天の姿で釣鐘を取り巻くと中から現れて捕手を踏み散ら
します。
第二番目ではその前に、山路が母の意見で一度は思い切った曽我十郎ととらの睦言を聞いて嫉妬する場面がありますが、これはその前年に富十郎が初演した《京鹿子娘道成寺》の主人公、横笛が嫉する前段とよく似ています。その横笛が殺されると、霊となって道成寺に現れ《京鹿子娘道成寺》を踊ったのです。本作品の山路も三保谷に殺されると、その霊がこの後の第三番目で一中節《名香浅間嶽》を使って十郎に恨みをかきくどき、最後は獅子頭を持って華やかに《英執着獅子》を踊ります。
この《京鹿子娘道成寺》と《英執着獅子》はどちらも長唄を代表する名曲で、本曲と同じ弥三郎の作曲。二曲には共通する旋律もあります。本曲の正本にはゴマ点や文字譜といった音楽情報がほとん入っていませんが、この二曲と共通の旋律は使っていたと推測されます。
なお、本曲で三保谷に憑いた霊は、山路とも、また第一番目に登場した小法師外記とも考えることができます。そこで、今回は小法師外記の霊が三保谷に憑いたと考えて復曲しました。
曲は鼓唄〽乱れ心や狂うらん」の置きで始まり、「突掛カケリ」の後〽花の姿」からはかつての恋人を花に譬えて唄います。「乱拍子」の後、〽更けゆく鐘」からは所々に地歌《古道成寺》の歌詞も使って人目を忍ぶ恋を聞かせ、ここまでの調子は不明ですが、当時の長唄に多い三下りと考えて、同じ三下りの《京鹿子娘道成寺》や《英執着獅子》の旋律を引用します(以上、今藤政貴氏作曲)。
〽我が心」の後は二上りで、恋心を述べる〽古に」からはクドキと考えます。小法師のクドキなので、評判記『役者大峰入』に「鼻紙を顔に当てて恥ずかしがり、身ぶるいしてクドク仕打ち」とあるような悪身の振りが入ったかもしれません。〽忘るる暇はないわいな」は翌年八月に市村座で初演された《水仙丹前》と同じ歌詞で、同じようなオトシの手が付いたと考えられます。〽われが恋路~花の露」は歌詞に「袴」「袖」「袂」など着物に関する言葉が出てきます。ここは同じフレーズが所々に出てくる流行唄風に作曲しました(以上、松永忠一郎氏作曲)。
早間の合方からは大小鼓でチリカラ拍子を入れ、〽お江戸いちばん」以降、「十文字槍」「投げ鞘(毛皮製の長大な槍の鞘袋)」「大津槍」など槍尽くしの歌詞を使った槍踊。十文字槍を二本持った三保谷の姿は正本の表紙にも描かれています。ここでは、槍踊に欠かせない「行列三重」が入ります。〽晩にゃ必ず」からは狂言〈花子〉風の歌詞も出てきますが、やはり「くだ槍(柄に鉄の管をはめた槍)」「まくら槍(護身のため枕もとに備えておく槍)」「大鳥毛(大名行列の先頭に使う、羽を集めた大きな鞘の槍)」を使った槍踊で「行列三重」の手も使います。
〽辺りに目を付け」からは三保谷が鐘に飛び込む鐘入りとなり、最後は《京鹿子娘道成寺》と似た〽引き担いでぞ入りにけり」の歌詞に同様な段切の手を付けて終わります(以上、今藤政太郎氏作曲)。
配川 美加
(2018年11月「第4回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)