公演のレポート

2022年4月24日 今藤政太郎「ぼくが いただいた たからもの」~映像視聴とおはなし
第3回「ぼくが いただいた たからもの〜映像視聴とおはなし」に参加して(小野光子・武満徹研究家)

 今回の特集は『松の調』。1990年に「四世藤舎呂船 十三回忌追善演奏会」のために政太郎師が作曲、その後も演奏会や踊りの会でしばしば取り上げられている作品だ。ゲストは日本舞踊家の尾上墨雪氏。加えて政太郎師のワキ三味線の経験も豊富な今藤美治郎氏を交えて、伝統と革新に挑み続ける御三方の話に耳を傾けた。聞き手は国立劇場の石橋幹己氏。
 13時半と16時と2回催され、1回目には来場されていた墨雪氏の御息女・尾上紫氏にもマイクが向けられる一場もあり、いつものように会場は和やかな雰囲気に包まれた。
 『松の調』の歌詞は歌人の馬場あき子氏による。「藤舎一門、並びに今藤の一門が末長く栄えると共に、日本の平和と文化が末長く続くことを願って」馬場氏に依頼し書き下ろされた歌詞は、謡曲「高砂」に題材を得ており格調高い。作調は政太郎師の弟君であられる六世藤舎呂船氏。初演はなんと、唄も三味線も二枚タテ。そしてそのメンバーが豪華! 唄が今藤長之と宮田哲男、三味線が今藤長十郎(現・家元)と政太郎の各氏。笛・太鼓は二人ずつ、小鼓は四世呂船の名作を偲んで2挺ずつが組になって四人。うち、太鼓は政太郎師の御母堂であられる藤舎せい子氏、小鼓は六世呂船氏! 初演時に踊りはなかった。が、墨雪氏はこの舞台を観てその日のうちに「私に振付させてください!」と政太郎師に電話をされ、それから再演を重ねているという。墨雪氏のアメリカのお弟子さんにもこの曲は人気だそうだ。
 『松の調』の素晴らしさを何と表現したらよいだろう。冒頭、太鼓の三連符に三味線が加わり、静かに波が打ち寄せる浜で、鶴が羽ばたく景色を見るような気持ちになる。聴く人に清らかな風や光を想像させ、温かな情感を感じさせる。そこから受ける感銘は、洋の東西を問わないのではないか。
 今回は『松の調』に振付けられた二つのバージョンの映像を拝見した。いずれも平成5(1993)年1月15日に国立小劇場で催された「師籍35周年記念 今藤政太郎の会」での、第1部キリの吉村雄輝氏の舞台と、第2部の幕開きの墨雪氏(当時は菊之丞)の舞台である(演奏者は本HP「公演のご案内」参照ください)。
 吉村雄輝氏と政太郎師の出会いは1970年代に遡り、戦後日本舞踊界の華々しい時代に数々の舞台を共にしてきたという。そして政太郎師は、雄輝氏から学んだ“たからもの”について話された。それは吉村流「座敷舞道成寺」の舞台でのこと。繰返しなしと決めた部分を政太郎師がつい、普段通りに弾いた時、幕がサーっと下りてしまったという。政太郎師は客席に向かって自らの過ちを伝え、最初からやり直した。終演後、謝りに行った舞台裏で雄輝氏は政太郎師にこう伝えたという。「誰かて間違いはあります。間違いをした時にどういう対応をするかが問題です、人間は」と。それを政太郎師は涙ぐみながら話すのだった。「その時の嬉しさはなかったです。やっぱり人間、嘘はいけないんですね。責任は取らないといけない。私は絶対に間違いはしませんという無謬の人はいないんです。誰でも間違います。その次にどういう対応をするかが人間として大切なんだと、そのことをよく知りました」。雄輝氏がピーター(池畑慎之介)の実父であると聞き、そこで合点している私のような邦楽初心者でも、芸術家の矜持、人としての誇りを知る、肝に銘じておきたいお話だった。
 墨雪氏と政太郎師は、古典を重んじつつ新たな創作を試み続けているお二人である。その出会いは20代の頃で、自然な成り行きで仕事もするようになったという。このコンビで何作の名作が生まれただろうか。墨雪氏は、『松の調』に従来のご祝儀ものとは違う点を見出されていた。「テンポよく男女の交流も描かれていて色も変わる。スケールも大きい。自然の美しい景色も唄われる。古典の様式もふまえている」。そして次第にテンポが速くなり舞踊と演奏にスリリングな掛け合いが生じるところに「現代性を感じる」と話された。それを政太郎師は「時代の空気を吸って自然に生まれた表現」と応えられた。
 墨雪氏の振付は三人で舞われる。今回の試聴は二世尾上菊之丞(現・墨雪)、尾上菊紫郎、尾上紫の各氏によるもの。特別な装置も衣装もない。あるのは扇だけ。シンプルだが、波や風、情愛までもが表現されていた。最小限(ミニマル)でいて深淵。音楽も唄・三味線・お囃子、それぞれ各要素は独立しながら重層的に絡み合う。シンプルでいて複雑。そこに私は感銘を受けた。しかし、考えてみればそれは伝統的表現であり、現代に伝統が息づいていると言うべきなのだろう。
 今回、芸とその心だけでなく、社会の中で生きる上での大切な“たからもの”も教えていただいた。そして伝統とは、古来より連綿と受け継がれた知恵の宝庫だということを再認識した日でもあった。

(小野光子・武満徹研究家)



今藤政太郎「ぼくが いただいた たからもの」~映像視聴とおはなし 詳細ページ

<小野 光子(おの・みつこ)プロフィール>

音楽学。『武満徹 ある作曲家の肖像』(音楽之友社)でミュージック・ペンクラブ賞受賞。訳書にP. バート著『武満徹の音楽』(音楽之友社)、L.ガリアーノ『湯浅譲二の音楽』(アルテスパブリッシング)、編集に『武満徹全集』(小学館)など。

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