公演のレポート

2021年3月14日(日) 今藤政太郎「ぼくの いただいた たからもの」~映像視聴とおはなし
「ぼくが いただいた たからもの」拝聴レポート(小野光子・武満徹研究家)

 前日の大雨が嘘のように晴れ渡った3月14日の午後、国立劇場の脇に建つ伝統芸能情報のレクチャー室で、今藤政太郎師によるお話と視聴の会が行なわれた。司会進行は御子息の今藤政貴氏。ゲストに芸術院会員で人間国宝の東音宮田哲男氏、今藤美治郎氏、昨年末に急逝された堅田喜三久氏に代わり御子息の堅田新十郎氏が迎えられ、とても温かく和やかな雰囲気で知的好奇心が刺激される時間が流れた。

 政太郎師は現在85歳。古典作品や先輩・仲間から授かった“たからもの”を「冥土の土産」として私たちに伝え残しておきたいと話し、会は始まった。

 今回の話題は、長唄の古典『賎機帯』。十代目杵屋六左衛門が1828年に山王祭の祭屋台のために作曲したといわれる作品。能の『隅田川』『桜川』をもとにし、清元にも同じ題材による『隅田川』がある。政太郎師いわく「どこもかしこも聴きどころいっぱい。華やかで悲しくて、演劇的要素が揃っている」作品。大きく分けると、1)登場人物である船長(渡し守/船頭)。2)曲の冒頭の音楽。3)曲の終わり(チラシ)に着目された解説がなされた。

 都から子供を探しに来た母親が桜満開の隅田川の川辺で船長と出会うという、おおまかな設定はどのジャンルも共通する。しかし、船長の設定が長唄の『賎機帯』では異なり、善人としては描かれていないという。哀れな母をからかったり、踊りを見せろとせがんだりする、いわば凡人。それが子供恋しさに一生懸命な母の姿を見るうちに、心変わりし、助けてあげたいと思う善人へと変化する。最後は解脱し、にぎやかに御霊を祓うチラシが設けられている――。政太郎師は、『賎機帯』を含めて「なぜぼくは日本の文化が好きなのか考えた」という。その答えは、お能、『平家物語』、『死者の書』(政太郎師が数年前に作曲した)などに共通する、覇者ではなく、思いを遂げられなかった弱者を思う心が中心を担っていることにある、と話された。

 音楽的な解釈は、贅沢にも今藤美治郎氏による実演つき!三味線のみで演奏される冒頭の前弾きと呼ばれる前奏部を2種類、披露くださった。ひとつはオリジナルの本調子。もうひとつは、のちに三代目杵屋正治郎が試みた、その部分だけ一下りという一の糸を低くする調弦。それが「ものすごく効く!」と、話す政太郎師に力がこもる。聴き比べると、後者は明らかにビィ〜ンと余韻が強かった。低く長く響く余韻は、滔々と流れる隅田川や、何かどっしりとした無常のようなものを彷彿とさせる。この部分には“禅の勤め”を縮めたゼンヅトと呼ばれる、歌舞伎で川の流れやお寺、お墓のシーンで使われる手(=短い旋律)が使われているという。音で暗示される世界を知り、『賎機帯』がぐっと立体的に感じられた。

 長年、政太郎師の脇三味線を勤められた美治郎氏は、政太郎師にとって「一緒にいい音楽を作るんだと、まさに一体化してくれる」存在。その一体感についての話は、共演を重ねてきた宮田哲男氏、堅田喜三久氏にも及ぶ。

 後半は、宮田哲男氏との出会いの話から始まった。政太郎師は、入試の願書を取りに大学へ出かけたときに宮田氏の唄を偶然、耳にしたという。それは風景が浮かぶほど素晴らしかったという。それ以来、60年以上の仲間。縁戚にあたる喜三久氏は子供の頃からの付き合い。大変な努力家であるとともに、「反応で生きていた人」と形容された。「それは日常生活でも」と新十郎氏は、黒い電話が自宅にあった時代、鳴り始めのチンの1音で受話器を取られたご尊父のエピソードを披露。会場の皆が笑顔になり、そしてその“反応”が、舞台で芸とつながっていたことも、自然と私(たち)に伝わって来た。

 視聴した平成28(2016)年1月の国立劇場「邦楽鑑賞会」での『賎機帯』は、政太郎師がパーキンソン病を発病し引退を決意して臨んだ舞台だという。それを唄とお囃子で支えたのが宮田氏と喜三久氏であり、脇三味線線の美治郎氏だった。喜三久氏はこのとき「鞨鼓の合方」で、政太郎師の父・四世藤舎呂船が創案した“風の一調”という手を打ったという。ライヴではなくDVDを通しての視聴であっても、長年の仲間が共振した舞台は、ズンと心に響くものがあった。

 ところで、今回のように作品解説、音楽分析、実際の音やアンサンブルの演出的表現が具体的に言語化されて語られる機会は少ない。音を言葉で表すのが難しいからだろう。ジャズをひもといた菊池成孔さんの講義で感じたワクワク感を思い出す体験だった。しかも噛み砕いてくださったのは古典芸能。関心があるけれども、あまたある文献に圧倒されていた身には、とても有難かった。

 それにしても、あっという間の90分だった。この講演会、シリーズとして続くそうだ。次回が待ち遠しい。

(小野光子・武満徹研究家)



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<小野 光子(おの・みつこ)プロフィール>

音楽学。『武満徹 ある作曲家の肖像』(音楽之友社)でミュージック・ペンクラブ賞受賞。訳書にP. バート著『武満徹の音楽』(音楽之友社)、L.ガリアーノ『湯浅譲二の音楽』(アルテスパブリッシング)、編集に『武満徹全集』(小学館)など。

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