復曲プロジェクト

復曲プロジェクト

【解説】馴初舟の内

 6月の『剱烏帽子照葉盞』に続いて、第2回目の今藤政太郎研究会は、『馴初舟の内』を演奏します。天明4年(1784)3月中村座で上演された記録のある『曾我娘長者』の中の長唄所作事です。絵本番付によりますと、曾我物らしく真ん中に朝比奈(二世市川門之助)がいて上手に若衆姿の工藤犬坊丸(四世岩井半四郎)、下手に娘姿の二の宮(三世瀬川菊之丞)がいます。『菅原』の「車引」の趣向や、同じ月の梅若忌で賑わった隅田川沿い向島の梅若塚の参詣客の姿なども描かれていて、複雑な内容が垣間見られます。
 まず第一にこの舟は何処にあって何れに向かっているのかが、問題です。隅田川なのか、それとも「浅妻」のように某大名屋敷での舟遊びなのか、それがまず議論の発端でした。設定次第で全く異なったものになります。大太鼓の水音が使えるのか、佃のような隅田川についた三味線が入ってよいのか、吉原の情景に騒ぎや清掻をどう入れるか、といったことが毎回検討されました。今回も4回の研究会を前回同様東京大学の古井戸先生の研究室で行いました。政太郎先生、松永忠一郎、今藤政貴三氏の分担による作曲と田中佐幸さんの作調も前回通りです。今回は公演の幕間に政太郎先生のお話もお聞きしたいと思います。研究会の議論のいったんは、プログラム誌上でお読みいただけるようですので、詳細は記しません。
 これは筆者一人の実感ですが、ともかく物を知らない、ということを感じます。近世江戸人がいかに豊かな経験と知識を持ち、分厚い文化を自家薬籠中の物にしていたのかが、実感される研究会です。自分は演奏家でもない素人ですが、観客としても聞き手としても何と未熟非才なのかを感じさせられます。せめてものことよい鑑賞者になりたいものと願っておりますが、それさえも叶わぬ夢で終わりそうです。

日本芸術文化振興会顧問 織田 紘二
(2016年9月「第2回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)

「馴初舟の内」長唄正本表紙(日吉 小三八氏 所蔵)

復曲者より

 歴代、長唄を作ってきた数多くの人の中でも、この曲を作ったとされる初代杵屋正次郎(正治郎)には特に興味を持っておりましたので、今回の復曲をご一緒させていただくことが出来、とても嬉しく思います。
 彼が活躍した時代は、長唄史における大きな二つの時代の転換期にあり、後の時代の長唄の隆盛は彼無くしては考え難いと自分なりに思っております。それほどに初代正次郎は長唄にとって重要な役割を果たしたのではないかと思います。
 宝暦から天明までの格調高い伝統的な手法から、その重みと優美さを残しつつも、ポップでメロディアスな、万人が楽しめる娯楽としての音楽へスイッチさせていった、革新的な人物であると捉えています。 いくつかの代表作に見られるインテンポでかつ裏拍から始まる前弾きや、主題(テーマ)としての前奏を間奏に何度も用いるなど、現代の歌謡曲に通ずるような新しい手法を生み出しました。それ以後、後継者たちがその手法を受け継ぎ、長唄の一般的なスタイルの一つとして定着していったのだと思うのです。
 伝統と革新の間で、どちらか一方へも没入し過ぎることの無い、まさに温故知新の精神は、現代の我々が最も真似したい物作りのあり方ではないでしょうか。

松永 忠一郎
(2016年9月「第2回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)

座談会

メンバー:織田紘二、稀音家義丸、配川美加、古井戸秀夫、今藤政貴、今藤政太郎、田中佐幸、松永忠一郎

考え方の経緯

政太郎 今回は天明期、初代杵屋正治郎(正次郎)の『馴初舟の内』を復曲することにしました。前回の『剱烏帽子』は宝暦でしたから、少し時代が下ります。
義 丸 すごく流行った曲で、戦前までは残っていたようだね。
古井戸 これは天明四年三月、中村座『曾我娘長者』の一番目四建目で初演されました。長唄正本の表紙絵をご覧いただくと三人いますね。真ん中は船頭にやつしている朝比奈。その左に振袖の娘、曾我兄弟の義理の姉の二の宮です。右の若衆は工藤祐経の息子・犬坊丸。ふつうは曾我の方が貧乏ですがここでは逆になっていて、貧乏だったが出世した若殿の犬坊丸と裕福な曾我の娘がここで恋の始まりという設定でして、行き会った若い男女を船頭が取り持ちをするという体になっています。しかしこの二人は仇同士だし不義の関係。のちにそれぞれの親に首を切られます。この芝居全体は曾我の役割で菅原を見せるものですし、首を切るところは山の段、妹背山です。
政太郎 うーん、ずいぶん複雑な背景なんですね。
古井戸 でも今と違って一日中芝居やっていますから。
織 田 テーマがひとつだと飽きちゃうんだね(笑)。
古井戸 それから役者ですが、二の宮は三代目瀬川菊之丞、犬坊丸が四代目岩井半四郎、朝比奈が二代目市川門之助。それぞれの苗字が詞章の最初に詠み込まれていますね。でね、この「舟の内」は、単純に隅田川に舟を浮かべて遊んでいるわけではない。お大名屋敷で誰か偉い人が来るので今様の所作事を出すという設定になっていて、そういう遊びのひとつで隅田川の舟に見立てて池に浮かべている。
義 丸 「朝妻舟」みたいなね。六義園の。

「舟の内もの」

古井戸 今はもう消えちゃった伝統ですが「舟の内もの」っていうのがありましてね。
配 川 河東節と一中節掛合の『隅田川舟の内』もそうですよね。あれは初代河東。享保年間ですね。
古井戸 元禄時代にはたくさん出たともあります。その「舟の内もの」の出所は謡曲の『隅田川』なのですが、謡曲では舟の中が一番の見どころです。しかも歌舞伎と違ってもうひとり客がいる。
政太郎 これ、朝比奈が舟長ですよね。二の宮が梅若のお母さんで、犬坊丸が…
織 田 旅人ですね。
古井戸 さあ、そうしますとね。朝比奈は頼まれて舟長をやっている。では二の宮と犬坊丸も頼まれたのか。いや。ここからがいわゆる歌舞伎の荒唐無稽っていわれるところで、この二人は隅田川に参詣と称して遊びに来ている。この時代、隅田川の向島に遊びに行くのが流行り始めます。二の宮は青日傘さして、犬坊丸は手桶を持っていて梅の花が挿してある。この二人は木母寺の梅若塚に遊びに行っている設定なんです。ですからあくまでも隅田川の渡し舟ですけれども、乗っている三人の見立てのうち、一人は「隅田川もの」の舟長で、残りの二人は当流風俗、今流行りの隅田川の竹屋の渡しの二人になっている。そこが洒落たところなんです。
織 田 「舟の内」という、「隅田川」というもの。形からいうと曾我。最低その二つは意識していかないといけないんじゃないかと思いますね。それと全体の趣向。そういうところをちょっと大事にしたいですね。

復曲作業に向けて

政太郎 いろいろ伺いまして、これは思ったよりたいへんな作品を選んじゃったなという気持ちもありますが、とにかく今回も三人で分担して復曲に当たりたいと思います。担当箇所ですが、まず頭の「花筏」から「椎の木じゃ、やっしっし」までを忠一郎さん。次の「並木、駒形」から「岩より」までをぼく、政太郎。「石より」以降最後までを政貴とします。
忠一郎 正本には「あいやい傘のしおらしや」の後に《此間せりふ》とありますが、ここのセリフは残っていないということで、今回セリフなしで進めるのでしたね?
古井戸 それでいいと思います。他の作品から類推するに、もし入るとすれば、ここの所は「それじゃあひとつ吉原の真似でもして遊ぼうか」なんていうくらいでしょうね。もう一カ所セリフが入るところがありますが、そこは、まだ知り合いになっていない二人の仲を朝比奈が取り持ちましょう、というような内容でしょう。そこはセリフが少し様式的になって、役者が言うのですけれども、ちょうど拍子舞のようなものです。
政太郎 「仲の町」の後のところですね。
忠一郎 ぼくの所のセリフ、最初の門之助とある「痴話か」は朝比奈ですよね。武張った感じではなくて?
古井戸 取り持ちをする役、道化役ですから。それからね、「二挺立ち、三挺立ち」で『隅田川』の見立てで舟に乗って浅草側から向島の方へ行く。「並木、駒形」からは、今度は向島の方から吉原へ行く。
政太郎 「二挺立ち、三挺立ち」は長唄『吉原雀』や、同じ正次郎の『三重霞嬉敷顔鳥』にもあります。
古井戸 これ、ここは駕籠ではなくて舟なんです。古い猪牙(ちょき)の形ですね。
佐 幸 そこの所に、鳴り物入れますかね。
配 川 この曲のお囃子ですけど、大小鼓しか正本には書いてありませんので、どうしますかね。
佐 幸 だったら、太鼓を入れるなら蔭ですかね。
政太郎 なるほど。そうそう『吉原雀』のトッチントチトチっていうのは、もしかしたら既に佃の手かもしれない。ツッチンツン、ツッチンツン…っていうのも、紛れることなく佃の手なんですよね。典型的ではないけど。
織 田 今、佃ということが出たけれども、あれの扱いは慎重にした方がいいな。文化文政、それとどうしても四世南北の印象が強いからね。場所もどっちかっていうと深川の印象が深い。
配 川 水音は、この時代もうあったんでしょうかね。
佐 幸 どうですかね。だって大太鼓がまだ今みたいな形ではありませんから。
古井戸 水音は文化文政だったら台本にあります。寛政や天明がどうかは調べなくてはわかりませんけど。
政太郎 それからこの「並木、駒形」、投げ節みたいにするとちょっと粋すぎるかしら。鼻歌みたいな感じで。それと、朝比奈についたお囃子の手って何があるだろうか。
佐 幸 ヒゲスリとかですかねえ。
政太郎 清掻(すががき)は使えますよね。歌詞にもある。「闇の夜」は… 長唄の『揚巻』っていつ頃の作品ですか。
義 丸 十代目(六左衛門)だからね。もっとだいぶ後ね。
配 川 そして「ありやなしや」からクドキですよね。
古井戸 先ほど伺った割り振りで、「岩より」と「石より」をお分けになったのには、びっくりしました。。
政 貴 ここは唄い分け自体がおもしろいんだと思うんですね。それを生かすように担当を分けたんです。
政太郎 で、どっちかといえば「ありやなしや」の方が客観性が強くて、「石より」の方が主観性が強い気がする。
義 丸 そうだね。
政 貴 いずれにせよ「ありやなしや」から「しょんがえ」までは、一人唄いのように正本にあるから、クドキ模様ということなのですよね?
古井戸 私は最初、クドキは「筆の海」までかなと思ったんです。そのあと、ここは音頭のようなものかと思った。でもここまでクドキでもおもしろい。
政 貴 「恋をする身は」はどうしても道成寺の道行を思い出させてしまう。その音を使うのかどうか…。
政太郎 お話を伺っているうちに、だんだん難しくなると同時に集約されてきました。到達点―まあしょうがない、これしかないなっていう所。それが、 おぼろげながら見えてきました。そこが見えてこないと曲ってできないんですよね。
織 田 そうでしょうね。基本的にはたくさんの状況条件が身体に入って一度ろ過されて、それが沈殿しないと、別の形の芸術作品にならないでしょうね。 今回は、前回の『剱烏帽子』よりも複雑。見立の世界に、たくさんの趣向をどう整理してどう盛り込むか、全体は見立の中でどう遊ぶかっていうことですが、最終的にそこに行くのでなくて、そこから始まってみようということ。作曲のときにイメージしてくださいよということね。イメージして初めて、ある出発ができるんじゃないかと思うんですね。

(2016.9.東大・古井戸研究室にて)

(2016年9月「第2回今藤政太郎作品演奏会」プログラムより転載)