エッセイ

東京新聞 2002年3月30日掲載
風車◇春のため息
 4月になったらどこかへお花見にと楽しみにしていた…。4月どころか、お彼岸にもう満開、末には花は散ってしまった。「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」のうたが思い出され、思わずため息をついてしまった。
 とかく自然はままならないとつくづく思う。桜の開花はどんどん早くなっている気がする。人間が自然を飽食し、意のままにしていることへの意趣返しなのかもしれない。だとすれば、子孫により良い環境を残すためのタイムリミットはもう目前かもしれない。
 江戸時代の江戸は生産と物流と消費がうまく折り合って環境を悪化させずに程よく上質な暮らしを人々にもたらしてしたと聞いた事がある。今更江戸時代の生活に戻れといっても無理だが、どのような経済的なシステムだったのか再考するということも必要ではないだろうか。
 日本の古典芸能もそんなバックグラウンドの下に発達したのだから、古典芸能に携わる者は尚更それを考えなければならない。話は違うが、TVニュースを見て思わずため息をついてしまった。早過ぎた桜の散りざまと「あと何回も国会で質問したかった」と去っていった議員の姿が重なったからであろうか。

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