エッセイ

思いつくままに…
泣き虫日記  ―碁敵は憎さも憎し懐かしし―

 お弟子さんの稽古日。「三曲糸の調」の稽古をしていた。若い時巳太郎さん(今の淨貢さん)との猛練習を思い出し、お弟子さんにあの時の楽しさと辛さを夢中で話した。それから稽古が済んで三十分ばかり経ったか、ホッとしているところへ淨貢さんの御子息から電話がきた。なんと淨貢さんの訃報である。様々なことが走馬燈のように巡って来た。

 彼は、僕がプロの三味線弾きになろうと目指した時に、今藤長十郎先生の稽古場で初めて会った。その時の印象は、ノーブルでいかにもインテリの山の手のお坊ちゃんという感じであった。
 それからお互いを意識して稽古に励んだ。
 彼は筋肉質で、その強靭な身体で三味線をいとも易く弾けるように見えた。そして今藤先生の許で切磋琢磨の毎日であった。独りで練習している時、このぐらいにしようと思うと、彼の練習している姿が浮かんで来てなかなか練習をやめることが出来なかった。

 若い時切磋琢磨した者同士が、我々が長十郎先生にしていただいたように、我々も若い人達の勉強に役立つ事をしなければと語り合い、「創邦21」の会を立ち上げる事にした。
 若い人達の創作を聴いて若い人達にアドヴァイスしている淨貢さんは、まるで、優秀な演出家が、ここで何をしなければならないか即座に的確にアドヴァイスをしているようで、その姿に驚嘆し尊敬したものだった。

 彼は長唄協会のオルガナイザーとして立派な腕を発揮していた。僕は野党的立場にいたので、対立したこともあった。が、矢張り長唄を愛する気持ちが立場を変えて表れたものだと納得し合っていた。

 いろいろ思い出すと、例によって涙腺がゆるみまた泣き虫になって来た。ナイスガイであった。僕らしい言い方ではないけれど、謹んで御冥福をお祈りします。

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