エッセイ

思いつくままに…
今藤文子先生

 去る6月8日、35年前に作曲した駒井義之作の「絲綢之路」という曲が、尾上墨雪氏振付でNHKで放映された。今年2月の日本舞踊協会公演で上演されたものだ。
 音源は初演の舞踊会用に作られたものを使ったので、いい音とは言えなかったが、よくあの古い音源から一応聞き苦しくない程度にまでクリーンアップできたものだと驚いた。
そして改めて、あの演奏者たちの優れた技量、中でも今藤文子先生のすばらしさに、感嘆するとともに涙さえした。
 曲の中ほどにある「胡旋の踊り」の、普通の邦楽のフレーズとは言い難いような、フラメンコのような唄には、思わず口をあんぐりと開けてしまうほど驚いた。それなのに、楊貴妃の玄宗皇帝を愛する気持ちがまるで少女のように表現されるその唄心には、尚一層心が揺らされた。
  話は変わるが、ぼくが先代今藤長十郎先生に入門したのは19歳の時である。
入門して一年目くらいに勉強会があり、その時の鬼軍曹役はいつも文子先生だった。その時の唄と三味線の教えぶりは、微に入り細を穿ち、ぼくたちが到底できないようなことをまるで何でもないかのように弾いて、事も無げにおっしゃっていた。ぼくなど、言われていることを理解するので精一杯であった。
 そうして修行が続くうちに、やがてぼくも僅かずつ作曲の仕事をするようになって、文子先生と舞台を共にするようになった。デビューほやほやのぼくが、作った曲の演奏を恐る恐るお願いすると、
「いいわよ、何でもやってあげるわよ」
と快く引き受けて下さった。そして、何だかわからないようなぼくの譜面を見ていただいて、さあ仮録音。ぼくの意図を遥かに超えた唄が聞こえてくるではないか!
 そんな風に教えていただきながらお仕事も共にした、それが、おぼつかないぼくの作曲家人生にどのくらい力を与えて下さったことか。
 中でも思い出深いのは、海津勝一郎氏の「雨」のおたか、田中澄江氏の「建礼門院」の門院。
そしてこのたびのテレビ放映を見て、「絲綢之路」の唄も再認識した。日本の唄の領域を越えながらまさしく日本の唄であるところが、文子先生の真骨頂である。なぜもっと生きていてくれなかったのかと、今更ながら悔やんでいる。
 皆様方も何か機会があれば、今藤文子先生の唄をぜひ聞いてみていただきたい。
 現世より文子先生へ尊敬と愛をこめて
今藤 政太郎

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