エッセイ

思いつくままに…
「82歳にして」

昭和20年、父の家が3月10日の下町大空襲で戦災に遭い、ぼくのうちは京都へ移住することになった。ぼくも疎開先から京都に移った。そして京都の小学校に通うようになった。4年生の時である。その8月15日に、終戦の詔勅をバスの中で聞いた。
それから高等学校卒業までずっと京都で過ごし、大学入学のため昭和29年の末から東京に住むことになった。爾来東京に住んでいるのだが、思春期の直前から高等学校卒業という、まさに大人になるための準備の時期を京都で過ごしたために、文化的には東京人と京都人のブレンドと言えるかもしれない。
そして京都の先斗町の両親の家で稽古場を開き、母が東京へ移住することになってからも、依然として京都に稽古場を、つい昨年まで持っていた。先斗町の芸者さんの唄を聞き、先斗町の芸者さんの踊りを見て育ったようなものである。
京都の花柳界のおどりの催しも、上七軒の作曲を担当し、宮川町の作曲も長十郎先生のお手伝いで少し担当したことがあった。大阪のミナミやキタと言われる花柳界のおどりの作曲もした。
――にもかかわらず先斗町だけは、縁が深そうでいて、催し(鴨川をどり)を担当したことがなかった。
もう縁がないのかと思っていたところに、昨年の12月、急にオファーがあって、この5月の鴨川をどりの作曲を担当することになった。何かふるさとに帰った心地がしてたいへん嬉しかった。
演目は、戸部和久脚色、尾上菊之丞振付の、「シェイクスピア 真夏の夜の夢より 空想い(そらおもい)」と、駒井義之作、尾上菊之丞振付「京七小町」(これもぼくの旧作)の2本。
「京七小町」は、タイトルも京都の花柳界の出し物にふさわしく、役も多いので、この種の催しには適当かと思って提案した。また「空想い」は原作が原作だけに、ちょっと喜劇調のタッチで、流行りのテレビコマーシャルを使ってみたり、ちょっと前に流行ったクレイジーキャッツの歌を使ったり結婚行進曲をおナマで使ったりしてみた。
出来については自分でとやかくは言えない。見ていただいた方々のご判断に任せるしかない。
ところで、ぼくが見てきた中で、鴨川をどりの歴史の上で革命とも言える作品を作曲したのは、尾崎資幸(藤舎呂華泉)さんだと思う。アヅマカブキの「流れ」を作ったことでも知られている。その尾崎さんへの尊敬の念を込めて、「流れ」の一節を今回の曲の中に取り入れたことを、ここに付しておく。

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