エッセイ

思いつくままに…
「哀悼」

 このくやしさはとても言葉でも文章でも表すことが出来ません。
 とは言え、この辛い気持ち、くやしい思いを何かに記さずにはいられません。
 僕が礒山雅先生に初めてお目にかかったのは、非常勤講師として国立音楽大学に赴任したばかりの頃でしたが、胸を開いて本当に信頼してお話をするようになったのは二年ほど経ってからのことでした。夏休みの合宿先で偶然同じ部屋に泊まることになり、世間話から始まって音楽のこと、教育のこと、学生のこと、人生のこと、いろいろ話して気が付けば夏の夜はもう明けていました。話しても話しても尽きませんでした。
 それからオペラシティでの僕の演奏会にお招きしたところ快く聴いて下さり、感想を述べて下さいました。文字通り高度な音楽観を持つ人だけが言葉に出来るような感想でした。優れた音楽家が音楽学者になると、たった一度でこんなにまでも音楽を深く聴くことが出来るのかと恐ろしくなるくらいでした。
 そして、先生が音楽監督をなさっている大阪の「いずみホール」で演奏会を催さないか、と言って下さいました。僕の名前を冠した演奏会です。いずみホールはクラシックの専門とも言ってよく、雅楽までは催されていましたが三味線や箏の音楽を定期的にスケジュールに組み込んでいただくのは初めてとのことでした。観客動員も予想以上の成果がありました。それはホールやホールのスタッフの協力なサポートがあったからではありますが、何より礒山先生の音楽観と強力な発信力があったればこそだと思います。
 そののち僕が新作をまとめて5枚のCDを出すにあたっては、その第1巻に礒山先生にライナーノートを書いていただきました。すごく鋭い耳で僕の音楽や人間性を見事に浮き彫りにされた、素晴らしいライナーノートでした。
 昨年12月10日に催した紀尾井ホールでの演奏会には、5曲まとめて演奏した小品の歌曲の解説を書いていただきましたが、作曲者の僕が新たな発見をするほど見事なものでした。今年に入ってお手紙が来て、演奏会全体へのその見事な「聴く力」と分析力にびっくり感激している感興も未だ覚めやらぬうちに、1月27日のことを伺いました。
 一日も早い御回復をと信じておりましたが、願いも空しく、昨夜訃報に接しました。
 奥様をはじめ御身内の方々には勿論のこと、我々等しく音楽を愛し文化を愛するこの日本の、否、世界の大きな損失だと思います。
 先述の「いずみホール」の情報誌「ジュピター」(2018年2、3月号)に、「死と再生」と題する文章を寄せられていました。何か偶然にしては恐ろしい符合のような気がしてなりません。
 願わくは、礒山先生の音楽観や人生観が我々の中に再生されんことを。
 謹んで哀悼の意を表します。

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