エッセイ

思いつくままに…
富樫・杉原千畝・武士道

 8月17日、ものすごい台風のさなか羽田から札幌に向かった。ただでジェットコースターに乗れるかと思って楽しみにしていたが、案に相違してふつうに発着してすこしがっかりだった。その折は、札幌の中学校の先生への長唄の講習であった。鑑賞として「勧進帳」、ワークショップもあり、そこでも「勧進帳」を採り上げた。安宅の関ならぬ「またかの関」の勧進帳であるが、講習をしながら、なぜこれがお芝居でも演奏でも一番の流行曲なのかと考えた。
  「勧進帳」の主役はもちろん弁慶であるが、心情的に日本人の心に刻みこまれるのは富樫左衛門の方ではないかと思う。弁慶は、自身の利害というところから遠く離れて、薄幸の英雄・義経を助けるために己を捨て、あらゆる知略と武勇と勇気をもって主人を助けようとした。これは義というよりは人間の心情というべきものなのではなかったかと思う。一方で富樫は、弁慶との問答の中に武士の心情を読み取り、それこそ我が身の利害や務めさえ投げ打って義経主従に殉じたのであった。そこに武士道という名の、人間の心情の清く凝縮された姿を見るのは、ぼくだけだろうか。
  そんなことを思っているうちにふと、杉原千畝のことを思い出した。日本がドイツと軍事同盟を結んでいたときに外交官としてリトアニアに赴任し、ナチの迫害から逃れて来たユダヤ系の人たちに違法と知りつつビザを発給し逃がしたという。世紀の残虐行為のガス室送りを人道的見地から真向から否定し、我が身を顧みなかった、まさに美しさを超えた行動であった。この話にも日本人は心から感動した。
  武士道精神というと、今はやりのリベンジだのハラキリだのばかりがクローズアップされるが、武士道の本質は、人間の情に共振することなのではないかと最近思っている。そのことこそが、武士道という名の日本人の心を世界が再認識する原点なのではないかと思っている。「勧進帳」を講義しながら、ふとそんなことを考えた。

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