エッセイ

思いつくままに…
ハート・頭・腕

 先日―6月26日紀尾井小ホールで、ぼくの再出発の意味を込めた「第一回今藤政太郎作品演奏会」を催しました。演目は、処女作『六斎念仏意想曲』、復元曲『剱烏帽子照葉盞』、語り物『雨』の3曲でした。
 『雨』はこれまでにも再演を重ねてきましたが、もともとのキャストが亡くなったりして大幅にキャストが変わりました。また舞踊化されたことも幾度かありました。このたびは、一度やってみたいと思っていた、文楽のお人形との共演が実現しました。
  現実にお人形を遣っていただくとなると、お人形のためにはけっして広いとは言えない紀尾井小ホールという会場のこと、舞台で演技するにはなかなか難しい場面があること、といろいろ考えなくてはいけないことがありました。とくに中ほどの主役のラブシーンは、お人形が2体でも遣う人は6人、どのように演じてくださるか楽しみでもありましたが、心配の方が多かったというのが正直なところでした。
  その危惧した場面で、桐竹勘十郎さんはふつうの文楽のお人形では考えられないカカシのようなお人形で、しかもそのカカシ人形2体を一人で遣われました。見事な存在感と、それにもかかわらず演奏者を十分に生かすような演技を工夫され、さらには最後の女主人公の振り絞るような述懐の場面を全くお人形を遣うことなく、演奏者のためだけに空けてくださるというおおよそ凡人には考えられないような発想でもって、“演じない演技”というものを見事に演じきられました。


 また文楽の第一人者であるにもかかわらず顔を黒衣の中に隠して演じてくださいました。なかなかプライドの許さないことなのに演目本位の演出をして下さった、そのことに逆に第一人者としての誇りを感じたほどです。

 もちろん言うまでもなくお人形の手振りは素晴らしく、たしかな腕の上に細やかな心遣いが乗っかっているのですが、しかし今更ながら、芸は最後はハートと頭だということを強く認識させられました。勘十郎さんには、深い深い敬意と感謝を申し上げなければなりません。
  あとになってしまいましたが、演奏者も、前でお人形を遣うという難しい条件、かてて加えて新しいキャストであるにもかかわらず、作品に深く入り込み見事な演奏をしてくれました。
  今一度このような形で演奏をしてみたいと強く思いました。と同時に、芸は心と頭だということを、自分に強く言い聞かせた次第です。  快い一日でした。

  末筆になりますが、聴きに来てくださったたくさんの方々に、ただただ感謝しています。また紀尾井ホールの新日鉄住金文化財団はじめぼくにいろいろお力を貸して下さった方々、とくに復元曲を我が事のように喜んで、それこそぼくにハートと頭を分けてくださった先生方には、ひたすら感謝をするとともに驚きの念を禁じえません。  改めて御礼を申し上げたいと思います。
  いろいろ書けばきりがないので、今日はこの辺で。


追記
 下浚いが終わり、勘十郎さんに率直に「芸はハートと頭だとつくづく思いました」と申し上げたところ、周りのお人形遣いさんたちが口々に「そうですねん」「兄さんはそうですねん」と言っておられたのが、強く印象に残りました。うらやましい限りです。
今藤政太郎

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