エッセイ

邦楽ジャーナル 2000年11月号
巻頭エッセイ◇耳の正月、目の正月 8
 昭和五十二年十月父が他界した。父は四世藤舎呂船という小鼓の名人だった。僕は中学から高校にかけ父とほとんど断絶状態だった。にもかかわらず、父の出る演奏会にはどうしても足が向いてしまい演奏を聴いてしまった。その度に自分の意地が屈服させられ、感激半分、悔しさ半分という複雑な思いをしていた。そんなある時、父の演奏する長唄『時雨西行』を聴いた。「秋の夕べに紅葉して月によせ雪によせ…」父の鼓は筆舌に尽くしがたいほど美しく、音と音とのロジカルなつながりなど全く不要、鼓だけであたかも宇宙を内包するようだった。僕は父への意地を捨てた。及ばずながら芸の道に進もうと…。
 それから数年後、僕は『西行』の稽古をする。西行法師の語り「弓矢を捨てて」のところで、口三味線でいうドトテ(激しく物が落ちるときなどに用いる三味線の擬音的技法)と強く大げさに弾き、続く「墨染めに身を染めなして法の旅」を軽やかに弾いて演出効果満点だろうと自己満足した。父の怒声がとんできた。「西行は弓矢を本当に捨てたのか。弓矢を捨てるというのは武士の道を捨て出家するという象徴的な表現だろう、そんなことも分からないのか」僕は父の鼓から官能美だけを感じていたのだ。それだけでは決して本当の芸ではない、ということを教えられた。読者の皆さんにあの父の鼓を聴いて頂けたらなあ、と思うことしきりである。 ◇邦楽ジャーナル掲載 http://www.hogaku.com

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