エッセイ

東京新聞 2002年8月31日掲載
風車◇気配に驚く

 そよそよは春風、さやさやは秋風…そんなイメージを僕は持っているのですが、如何なものでしょうか。ともあれ秋風という言葉から、何かもの悲しいような感じを受けるのは僕だけでしょうか。勿論この文章を書いているのは24日、本紙に掲載されるのは31日、暦とはかけ離れてまだまだ暑い日もあるでしょうが、さすがに朝夕はもうしのぎやすくなってきています。
 実りの秋というくらいで、秋は豊かさの証明でもあるはずなのに収穫すればもう1年も終わり。そんな気配を感じさせる切なさがこうした思いを起こさせるのでしょうか。やがて師走ともなれば年末年始のセレモニー化するのでそんな感じも薄れるのですが…。
 日本人の多くは目の前の現実より何か気配にこそもの驚かされる心情を持っているようです。能の獅子の霞の段、芭蕉の句、歌舞伎の雪音等々“気配”を芸術にまで昇華した例は枚挙にいとまがありません。
 僕らにとって卑近な例でいえば、舞台で息が合ったといっては馬鹿みたいに喜び、合わなかったといってはしょげ返ったり。そんな緊張感に浸りながら一生懸命舞台をつとめています。気配を感じるということは恐ろしくもまた楽しいものです。