エッセイ

思いつくままに…
ぢこと

今日12月10日、畏友・尾上墨雪さんの小さなリサイタルに行きました。
自宅のお稽古場での舞踊会なので規模は小さいのですが、珠玉のようなリサイタルでした。 いかにも墨雪さんらしい選曲で、荻江節「竹」「梅」、一中節「猩々」、ドビュッシーの「沈める寺」。すべてを録音でという予定が、墨雪さんと都一中さんの友情で一中節は生の演奏でした。そのことにいたく感激しました。
「沈める寺」は、舞台床に紙コップと蝋燭を使った照明を置き障子を開けて外の灯りを取り入れるという、墨雪さんならではの発想でした。ドビュッシーは西洋クラシック音楽の逼塞(ひっそく)を救う音楽家でした。墨雪さんは日本の伝統芸能の逼塞を打破してくれるに違いないと思いました。
最初の「竹」「梅」は故荻江露友師の独吟で、そのすばらしい演奏を聴いて、ふと「ぢこと」という言葉を思い出しました。
ぼくも若い時から一中節、荻江節など習ったのですが、いつも注意されたのは「ぢこと」にもっと気をつけなさいということでした。
ぢこと、という言葉は伝統芸能の世界でもあまり使われなくなりましたが、発音ということだけではなく、言葉の内容、とくにそのことが音楽的にそぐっているかをも含めた言葉の内容のことです。露友師の唄がすばらしいだけでなく、「ぢこと」もまたすばらしく、今さらながら若い時に習ったことを思い出し、もっと勉強しなくてはと改めて思いました。 とくに創作の場合は、歌詞はお客様のご存知ないものばかりですから、なおさら気をつけなければと思ったところです。

ぼくは12月というとなんとなく切なくなるのですが、今年は切なさがひとしおです。仲の良かった友だちや尊敬する人たちがたくさん亡くなってしまったのです。おまけに自分自身についても、思うような演奏ができず、その切なさは並ではないように思います。 しかしこの12月10日に墨雪さんの珠玉のような催しを見聴きすることができ、ふと靄(もや)が晴れたような気もいたしました。