エッセイ

邦楽ジャーナル 1999年5月号 知己往来◇ほろび(美)

 今、僕は仕事先のホテルの窓から夕暮にかすむ七部咲きの桜を、ぼんやりと見ている。若い時はさほど愛着するというほどでもなかった桜が、十年程前からやたらと好きになって来た。勿論、気位が高くて清楚な梅も捨てがたい。しかし梅には、教養という二文字が付きまとうような気がする。やはり、梅を愛でるようになった当時の知識人達が中国の感性を直輸入したからなのではないか、などと思ってしまう。
 その点、桜の危うさは、日本人が日本人独自の感性を持つようになった平安時代以降の美意識にぴったりのような気がする。ちょっとした天気のあやなどで、人の予測をすり抜けるようにして咲いてしまったり散ってしまったりする、そのはかなさは、仏教の無常観とも結びついて、日本人の感性に定着したのではないかと思う。
 そんなわけで、日本人の部分がそんなに多くなかったかも知れない僕が、年齢とともにその部分が増して来て桜がとても好きになったのかも知れない。
日本には昔から、判官びいきという言葉がある。美しく清い者達がその清さ故にほろびてしまうのをいとおしむ心情をそんなふうに云うのだろう。そう云うことをほろびの美学などとも云うらしい。
 世の中には、ほろびさすには余りにも惜しい美しいもの、素晴らしいものが沢山ある。しかし、その美や文化がどんなに素晴らしいものであれ、やがては記録に留まるに過ぎない存在となり、次なる文化にその席をゆずらねばならない。
 僕は、子供の時から日本音楽、特に三味線音楽を聞いて育ち、日本音楽が美しくて素晴らしいものであるということに何の疑念もさしはさまないで成長した。
 しかし、伝統音楽を取り囲む色々な環境の矛盾に気がつきだした頃から、日本音楽のプロになろうという意識はだんだんとうすれて行った。かてて加えて、自分が大人になる頃にはもう三味線を演奏する人も少なくなり、ましてやそれを聞いたり習ったりする人もなおのこと居なくなってしまうという話を聞かされたものだ。しかし、そんな話を聞くにつれ、自分の好きな三味線音楽の衰退を手をこまねいて見ているだけでいいものだろうかという気持ちもフツフツと湧いてきて、たとえ微力であっても邦楽の演奏家になろう、と思うに至った。
話は変わるが、現存している三味線音楽の中で最も頽廃的だと云われているのが新内だそうだが、余り邦楽に関心のなかった人がその新内を聞いて、いたく感銘を受け、これぞまさにほろびの美学と話して居られたのを聞いた覚えがある。そして、そのような種類のものは清くその使命を終えてほろび行くべきだとも聞いた。
 なるほど僕のやっている三味線音楽も、音楽の体裁を整え出してから数えても三百年になんなんとする歴史を刻んでいる。やがては文化の表舞台から去っていく日が来ることは当然である。それが一世紀後か、数世紀後か分からないが・・・。
 しかし僕は、僕の好きな三味線音楽の価値が、新内も含めて、現在すでに色あせたものになっているとはとうてい思えない。
その一つの証拠に、西洋音楽の教育を軸にしている音楽大学(僕の教えている国立音楽大学)で、三味線音楽を履修しようとしている学生が実に多いのである。具体的な数字を挙げると、毎年百人以上の履修希望者が居て抽選で受講者を決めねばならないという有様である。その後に三味線音楽を引き続いて好きになっている学生も沢山いる。が、その学生達の多くがずーっと邦楽を演奏したり聞いて呉れるかと云うと、残念ながらそうはいかない。
 その理由の一つには僕の若い時に感じた不条理さがシステムとして温存されていることだ。しかも、そのシステムの恩恵にあずかる人達はごく特権的な人達だというような話を聞くだけで、唖然として、邦楽の音楽的魅力を色あせたものと印象付けてしまうらしい。
 どんな文化も歴史の流れには逆らえないのだろうが、文化の持つ美しさや魅力が色あせていないのに、それを取り囲む環境の不条理さにその生命力を奪われて、我々の美しい音楽がほろび(美)ならぬ滅びになってしまうとしたら、由々しいことである。そうはさせたくない。そして、より美しく次代にバトンタッチしなければならないと思う。
 すでに僕も63歳。かなりの既得権益を持っている世代とも云えなくはない。自戒の意味をも含めてこのエッセーを書いた。
 尚、次回は日本音楽にも深い関心と理解を持っていらっしゃる、国立音楽大学の音楽学の教授として令名の高い磯山雅氏にバトンタッチしたいと思う。
◇邦楽ジャーナル掲載 http://www.hogaku.com