エッセイ

邦楽ジャーナル 2000年6月号
巻頭エッセイ◇耳の正月、目の正月 3

 桜の時期もあらかた終わり、これが春の憂いとでもいうのか心淋しい中に何やらホッとするようなこの頃である。「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んだ歌人の心がよくわかる。
 先日四月十四日に仕事で京都へ行った折、仕事の前に少々時間があったので、ホテルからちょっと廻り道をして桜が見たいと運転手さんに云うと、「そんなら平野神社がよろしわ」と云って案内してくれた。昨年より少し桜の時期が遅かったのでちょうど見頃の桜に間にあって、とてもすてきな思いをした。わずかな時間しかなかったのでかえって一入(ひとしお)であった。見終えて運転手さんに礼を云うと、「よろしおっしゃろ」とまるで自分の花ででもあるかのように自慢をしていた。運転手さんは「お客さん、桜はほんまによろしな、欧米では桜はさくらんぼの木で、桜の花はさくらんぼの花としか思わへんのです。ほんま日本に生まれてよかったと思いますわ」という話を聞いた。そうだとすれば僕も同感だ。さくらんぼも好きだが桜の花をさくらんぼの花と思う感性のグローバリゼーションは余りありがたくない。僕も日本人に生まれてよかったと思う。いい桜を見せてくれ、いい話を聞かせてくれた運転手さんのお陰で目の正月と耳の正月を一度に迎えることが出来た。運転手さん、ありがとう。
◇邦楽ジャーナル掲載 http://www.hogaku.com