エッセイ

邦楽と舞踊 2007年8月号掲載
市川團十郎一座 パリオペラ座で『勧進帳』と『紅葉狩』を公演
― 長唄演奏の今藤政太郎と今藤尚之の同行記 ―

 フランスのパリには、外観からして至極対照的な二つのオペラ座がある。都心にあって格式と伝統を誇るバロック風な、設計者の名を冠にした旧オペラ座「オペラ・ゲルニア」と、ダウンタウンのフランス革命の起こりの地、牢獄のあったパスチーユに出来た、ガラス張りの近代的な新オペラ座「オペラ・パスチーユ」がこれである。舞台を飾るシャガールの天井画が見事な旧オペラ座は、第二帝政時代のナポレオン3世治政下(日本流にいえば明治8年)に竣工されたもので、10年前大改修を行って外観はそのままに新たに蘇っている。
 今年3月、日本の歌舞伎が、初めてパリのオペラ座で公演を行った。格式ある旧オペラ座に於いてである。市川團十郎・市川海老蔵らの成田屋一門に市川段四郎・市川亀治郎親子らが加わり、演目は長唄『勧進帳』と常磐津・長唄・義太夫三方掛合『紅葉狩』の二番が、23日から25・27・29・30日の5日間5公演が行われたのであった。3月20日に日本を発ち、現地時間その日にパリドゴール空港に降り立った一行は、即オペラ座へ直行しすぐさま稽古に入るという、ハナからハードなスケジュールだったというこの公演のレポートを、長唄地方陣として同行した、立三味線の今藤政太郎と立唄の今藤尚之のお二人にお願いした。以下はその報告である。

今藤政太郎の報告

 團十郎スピリッツ、オペラ座の空に躍る―
 今年3月團十郎丈のオペラ座公演は大盛況で、大成功であった。私は歌舞伎公演に参加することはあまりないが、パリ公演は二度目で前回は10年前雀右衛門丈と富十郎丈の『二人椀久』で、この時はシャトレ劇場であった。今回の公演に参加出来たのは私の演奏家としての人生でも特筆すべき出来事で、日本人としての誇りと使命感を感じた。この公演で特に感動的だったのは、團十郎丈が大病を患われ、信じられないほどの闘病生活を送られた結果、オペラ座での公演を闘い取られたこと。市川家のプライドと使命感と、それに何よりも日本文化、歌舞伎に対する誇りと愛情に突き動かされて、大病を克服しパリ公演を現実のものにしたことである。
 歌舞伎のための劇場とオペラ座とでは全然構造からして違う。そのオペラ座の中で、日本の伝統と様式をいかにこの劇場に合わせるか、それは工夫というより叡知と云うべきであろう。優れた伝統というものは、どこの国においても、どの時代においても、そのような叡知によって伝えられ、磨かれ、そして伝統として残っているのだと痛感させられるのである。今回上演の『勧進帳』でも最後の六法の引っ込みで、海老蔵丈は舞台から客席の急なスロープをあの重い衣裳で降り、客席を花道に見立てて引っ込んだ。座頭の責任を重んじた團十郎丈は敢えて冒険せず、エプロンステージを花道代わりにして引っ込んだ。このような、時により、場合によりいろんな工夫が公演を支えるのである。また『口上』でみせた、その人の率直さ、誠実さ、優しさを滲ませた團十郎丈の人柄と情熱は、流暢とは云えないフランス語ながら、どんな流麗なフランス語よりも感動を与えてくれた。私も何とかよい演奏をと心掛けたが、その情熱に応えようとするあまり、肩に力が入りすぎ自分でも満足いく演奏とはいかなかった。しかし、今藤尚之さんや今藤美治郎さん、杵屋勝四郎さんほか、周りの人のサポートで何とか公演を全うすることが出来た。70才を過ぎてこんなに肩の力が抜けないようではダメだと思いつつも、機会があればもっといい演奏をと思っている。
 パリの観衆の熱狂ぶりを見て改めて感じたことは、本物の芸術と魂は洗練の極みにあるフランスでも受け入れられるものだということ。世界でも抜きんでて超一流の文化の国であるフランス人が受け入れてくれるのは、自国の文化に誇りを持ち自国の文化を大切にするからこそ、たとえ他国の文化であっても本物を求めているからなのである。我々日本人も、自分たちの高い文化と伝統に誇りを持ち、よく理解してこそ外国の高度な文化を理解しうるのである。最近よく「グローバリズム」とか「世界標準」とかいう言葉がいわれるが、自分を知り他を知ることこそ真のグローバリズムであり、力の強いものにおもねること、追従することが真のグローバリズムではない。しかしながら自国の文化を誇る余り、狭隘なものの見方ばかりしていては感性を磨き、豊かな人間性を形成することさえ出来ないであろう。外国で文化の坩堝に投げ入れられると、こんなことを強烈に感じるのである。
 今回のパリは直前からの忙しさと緊張から、じっくり街を楽しむという心境にもなれなかったのは残念であったが、歌舞伎で演奏しているということを街行く人に話すと、プライドの高いパリの人たちがとても親切にしてくれた。親友の朝倉摂氏も同行してくれたし、東音宮田哲男氏にもお会い出来たし、思いもかけず大勢の日本人に会えたことはうれしいことであった。今回パリオペラ座公演に参加できたのは最高の幸せだった。またこんな機会が訪れたらいいなと、性懲りもなく思っている。

今藤 尚之の報告

 パリ、オペラ座歌舞伎公演に参加して―
 ヨーロッパの冬は厳しい。桜の開花宣言を背中に日本を発ったのに、パリは冬だった。3月20日に成田空港よりパリへ飛ぶ。翌日は舞台稽古。團十郎丈、海老蔵丈はじめ役者さんたちも気迫に満ちた面持ちだ。東京での稽古の折り、オペラ座初出演の挨拶があり、病後とは思えぬ心意気を見せて語っていた成田屋宗家を思いだした。改めて地方出演者の我々も、その責任の重さをひしひしと感じた。現場スタッフとの下打ち合わせも『勧進帳』では松羽目の舞台照明にかなりの時間を費やしたようだった。私も緊張のあまり思ったようには唄えなかった。
 そんな不安と緊張の中で初日を迎える。舞台の緞帳が上がり、超満員のお客さんが目に飛び込んでくる。大拍手と歓声のうちに富樫の海老蔵丈。弁慶の團十郎丈が舞台に現れる。場内の隅々に響きわたる朗々としたセリフが聞えてくる。そして、会場のバルコニー席に目をやって眺めた時、私はまるで地球儀の中で唄っているような錯覚に襲われた。
 『紅葉狩』では、團十郎丈の若々しい維茂、海老蔵丈の妖艶で美しい更科姫の前半につづき、早変わりした後半では荒々しく恐ろしい鬼女の凄まじさを舞台でみせた。その二役の違いの大きさに私も目を見張った。舞台を見ていたフランスの観客は、その光景に身を乗りだし瞬き一つしないで魅入っていたようであった。
 『口上』は地方の我々は見ることができなかったが、モニターテレビで拝見した。何ヶ月もフランス語の訓練を受けてきたという役者さんたちの努力の成果は著しく、口上のはしはしに出ていたようで、大いに受けていた。我々もフランス語を少々でも会得しておけばよかったと皆で言い合った。たとえ、舞台でフランス語で唄わなくとも、滞在中の日常生活がより楽しい海外公演に成っていたことだろうと思った。言葉が自由にならないため、私は持ち前のスマイルと大きなジェスチャーでこれを凌ぎ、観光地、食事時など難関を突破してきた。それは実際大変な苦労であった。公演中、一日おきに休演日だったので、モンマルトルの丘へ登り、サクレクレール寺院の静かで厳かな賛美歌を聴いたり、ルーブル美術館では「ミロのビーナス」や「モナリザ」に逢ったりして、フランスはパリへ来たんだという実感がようやく湧いてきて心が和んだ。また、日本食街へ出向き、日本語が使えて何日分かの疲れがどこかへ吹き飛んだ思いがした。
 こうして、いよいよ千龝楽。最後だけは二日続きもあって緊張の保持は十分に、気持ちが高揚したまま、一生懸命、一心不乱に舞台をつとめた。カーテンコールでは團十郎座頭をはじめ役者さんたちも、晴ればれとした笑顔で舞台に登場し、深々と頭を下げていた。その時の総立ちになった客席からの鳴り止まぬ歓声と拍手が、4ヶ月も過ぎた今でも私の耳に残っている。

(邦楽と舞踊58巻8月号8〜9頁原稿より)