エッセイ

邦楽と舞踊 2006年1月号掲載
特集:米川敏子◇御(み)ほとけのたなごころ

 たしか、昭和三十一、二年の頃だったでしょうか、恩師長十郎先生のお宅でだったように思うのですが、長十郎先生と敏子先生が新曲の練習をなさっていました。うかつなことに曲名も定かではないのですが、何しろピタッと合うとか合わせるとか、そういうことではなしに、まるで予定調和……とでもいうような趣でお稽古をなさっていたのに聞き惚れてしまったこと、敏子先生を知った初めての時です。
 話は変わりますが、僕は五、六歳の頃母からこんな唄を教わるともなく、教わりました。『六段』の唄です(テントンシャン いつでもうちの姉ちゃんと となりのみよちゃんが弾いています けれどもわたしにゃ弾けない 弾こうとおもても指が届かない ほんとにお琴ははいいけれども…中略…ラシレ ミレミドシドラシ レミシラファラ ミドシラ)六段の初段のメロディに歌詞が付いた唄です。その頃からお筝は美しい音ということがすり込まれていましたが、実際に弾く音(ね)がイメージ通りであることはまれでした。それがどうでしょう、初めて聴く敏子先生の筝の音は僕のイメージなど遥かに超えた美しい音色でした。後に、この唄を聴いていただいたとき、敏子先生に「私も知っていますよ」とお褒め?頂きました。
 時が移り、僕も長十郎先生の新作でご一緒に弾かせていただく機会を頂くようになり、敏子先生のお筝は単に音色が美しいということだけではなく、ジャンルを超えたものであることを知ったのです。何がすごいのか言葉で表現するのは難しいのですが、音楽の基本、すなわち、鋭い音程感、正確なリズム感、そして超絶技巧をこともなげに弾いてしまうスーパーテクニックはもちろんですが、無理に一言で言うとすれば“音楽がしなやかである”ということだと思います。もちろん、しなやかと言っても単に合わせ上手などと言うことではなく、その中にご自身の芸術と品格の誇りをしっかりと貫いているのです。そのしなやかさというものは聴かせて頂いているだけでも分かるのですが、やはりご一緒に演奏させて頂くと体の中から実感されます。俗に名人同士の戦いなどといってまるで勝負のように演奏を表現なさる方もありますが、敏子先生の本当の素晴らしさはこんなことではなく、自分が意地を張るのではなく、相手におもねるでもなくごく自然にあるべき芸術に寄り添っていくところにあるのです。
 三味線という楽器をご存知の方にはいわずもがなのことですが、三味線は絃の伸縮が激しく、またちょっとした天候や場所の変化などによってもすぐに音が狂います。また、唄い手のコンディションによっても微妙な変化が絶えずあり、のり……の変化も絶えずあり、多くの場合、助演の立場で参加される敏子先生は大変だと思うのに、まるで何事もなかったかのようにこれしかないという演奏をなさっていました。
 敏子先生は、大正二年二月生まれ、僕の母も大正二年二月生まれ、まさに親子の年齢差があるのですが身の程もわきまえず自分の曲を弾いて頂きたいという思いはつのるばかりでした。念願叶って『思ひあふれて』という筝伴奏の曲を弾いて頂きました。僕に対してまるで友達のようなさりげない口調で“これでいいんですか”と言ってさりげなく弾いてくださいました。僕の曲が名曲のように聞こえました。またある時は、僕の立三味線でお筝を弾いてくださいました。そうすると“あれ、僕ちょっと三味線が上手くなったかな”と思わずうれしくなってしまうのです。しかしよく聴いてみると三味線は少しも上手くなっていないのです。でも、不思議なことに上手くなったような気がするのです。“あなたの三味線はとてもいいんですよ”と言ってくださっているようです。まるで「御仏のたなごころに包まれて」という想いを持つことが出来るのです。つくづく名人はすごいものだと思います。また、作曲も名作が多く中でも『千鳥と遊ぶ智恵子』は何度聴いても涙が出ます。やがて敏子先生に連れられてかわいいお嬢さんが二人ついて来るようになりました。お二人ともお筝をなさるようになり、あれよあれよと上達ぶりに舌を巻いておりました。残念なことにお姉様の恵美さんは健康を害され、演奏家の道を断念されましたが、その鑑識眼がドキリとするほど鋭く、お話を伺うととても楽しく思います。
 妹の裕枝さんはそののち、目眩くような勢いで演奏に、作曲にと大活躍され今では押しも押されもせぬ代表的な音楽家になられました。
 また「現代邦楽作曲家連盟」「創邦21」という創作の団体では同人としてご一緒させて頂き、なくてはならないパートナーとしてお付き合いして頂いております。また、私事ではありますが、娘の敏裕がプロの演奏家としてご指導ご引き立て頂き、三代にわたりご縁をいただいております。本当に幸運なことだと思います。僕にはもう、直接教えて頂いた先生方や両親はおりません。考えてみると僕の中の師匠でお元気なのは敏子先生だけなのです。ずっとお元気でいらしてほしいと思う次第です。

 この稿を書き終えて間もなく先生の訃報に接しました。悲しくて悲しくて仕方がありません。でも、先生の偉大な芸は裕枝さんはじめ、皆さんで受け継いでいかれることと存じます。謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌